「公共の道路」を使う者の使命
日本中を繋ぎ、私たちの日常を支えている道路。
人の往来を助け、生活に必要なものを運び、暮らしや経済の基盤となるこの道は、私達全員のかけがえのない財産であり、それを使わせて頂いている者には使命があると山口は言う。
命と希望を繋ぐ道路
2011年3月11日。東日本大震災。マグニチュード9の激震、そしてそれに伴う津波が東日本を襲い、特に東北地方に甚大な被害をもたらした。
テレビに映し出される惨状、麻痺したライフライン、被災地に届かない物資。その様子を目にした山口はすぐさま行動に移った。
一秒も早く、必要とされているものを届けるために
レントラ便の本社のある東京都品川区。山口はすぐさま様々な企業と連絡を取り合い、支援物資を提供を申し出る。たくさんの企業が快く応じてくれた。
また、同時に生活必需品や、必要な衣服、家電などの物資を集めると、4tトラックに満載した。
あとは届けるだけだった。
目前に拡がる現実。出来る事は何か。
寸断された道路、通行できなくなったエリアで迂回を繰り返してようやくたどり着いた被災地、気仙沼。
その光景に山口は衝撃を受ける。陸に打ち上げられ、赤い船底を見せる大型船、崩れたコンビニ。
日常が破壊され、途方にくれる街と避難所に集う人々を見て、山口は決意する。
「通れる道はわかった。あとは往復して運ぶだけだ。」
震災直後の気仙沼、このとき最も必要とされていたのは物資だった。
被災された方々の話を聞き、確信すると同時に、この日から東北と東京を往復し、必要とされるものを届けるための活動が始まった。