写真を使って、文字を組むことを最初に考えた人たち モダン・タイポグラフィについての極私的コメント(101)

山本太郎 モダン・タイポグラフィについての極私的コメント(101)

19世紀末から20世紀前半にかけて写真植字機を考案した人は数多い。L. W. Wallis, A Concise Chronology of Typesetting Developments 1886–1986, (London: The Wynkyn de Worde Society) によれば、最初に写真植字機を発明したのは、おそらく1893年のArthur Fergusonによるものであろう。これは、他の文献、例えば、Colin Clair, A History of European Printing, (London: Academic Press, 1976) のp. 427に記されているW. Friese-Greeneによる1895年のパテントよりも2年早い。上記のWallisの著書を読めば、そのFergusonの発明から、後に森澤信夫が参照したといわれる1921年のAugustとHunter両氏による写真植字機の考案・製作までの間の18年間に、きわめて多数の人々が写真植字機を考案していたことがわかる。

また、我が国の邦文写真植字機に限定すれば、海外での先例に触発されながらも、森澤信夫が最初の邦文写真植字機を考案あるいは発明したことは、従来から発表されている種々の文献や以下の雪朱里氏の二つの記事を読む限り明かである。

この点で、阿部卓也氏の『杉浦康平と写植の時代 光学技術と日本語のデザイン』(慶應義塾大学出版会刊)が、「石井と森澤のどちらが『真の写植の発明者』なのかを決定することにも関心はない(それは何をもって「発明」とするかの定義の問題に過ぎない)」(同書p. 105よりの引用)としているのは、少しく腑に落ちない。なぜなら、たしかに「発明」という言葉をどう定義するかによって、誰が発明者であるかは変わり得るが、であれば、その定義をはっきりとさせない限り「発明」や「発明者」という言葉を使うことはできないはずだ。また「邦文」用の写真植字機に限定することに意味はない、と考えて、だから「発明」という言葉は使わない、というアプローチはあり得る。しかし、その場合、そのこと自体が邦文写植機に限定しない広義のものとして「発明」を定義していることになる。

他方で、上掲の阿部氏の著書中の先に引用したセクションで述べられているように、邦文写真植字機の実用化を成功させるまでの初期の段階から森澤・石井の協力関係があったこと、両者の協力なしに邦文写真植字機の実用化は不可能であったこと、また森澤・石井以外の数多くの人々による助言、支援と協力によって実用化に至ったことはまったく疑い得ない。写真植字機の実用化と、印刷技術が大きく変化した時代にあって写真植字という印字・文字組版の方法とが、その後の日本のタイポグラフィに与えた影響という大きな視点からすれば、誰が最初に邦文写真植字機を発明したか、ということは相対的には重要ではないという考えはあり得る。しかし、そう考える場合でも、発明者は邦文用ということに限定すれば既に自明であると考えるのか、そもそも「発明」という言葉を使うことが妥当でないと考えるのか。その点が曖昧なのは、やはりちと腑に落ちない。邦文写真植字機に限定すれば、「発明」という言葉を避けたとしても、最初に考案した者がいなければ、そのアイデアに賛同して協力する者もありえないのだから、誰が最初に考案したかということには、意味がある。

ところで、邦文写真植字機の実用化は、欧米で用いられていたライノタイプ、モノタイプ、ラドローやインタータイプといった活字鋳造植字機が既に持っていた自動化植字機としての多くの機能を写真的な方法で置き換える必要がなかったことが幸いして、光学式手動写植機としての独自の発展を可能にし、それは1980年代にまで持続した。このことは、機械の自動化や情報処理技術という観点からは、欧米の技術的進歩と同期的に進歩しえなかったという負の側面もあるかもしれないが、むしろ、既に写真植字機というコンセプトにおいては先行していた欧米よりも先に、邦文写真植字機を実用化することで金属鋳造活字から脱皮することの現実性を示すことができた、ということに着目すべきではないか。

長い伝統を誇る欧米のタイポグラフィは、活字鋳造技術の高度化と書体デザインに対する歴史的研究の蓄積を背景にして、技術的にも審美的にもきわめて豊かな内容を誇っていた。19世紀末のプライベートプレス運動がタイポグラフィとブックデザインの工芸的な側面を強調することでタイポグラフィや書体デザインの品質への一般の意識を高めさせ、20世紀に入るとその成果を、機械化・動力化された活字鋳造植字機を利用して、大量生産される印刷物に反映させることにもある程度は成功していた。それは、欧米のタイポグラフィが誇るべき成果ではあったが、同時に活字から写真植字への移行により多くの時間と努力を要したとも言えよう。

そして、日本では、写真植字の時代に優れた書体デザインが数多く生み出され、デジタルフォントの時代になって以後も、新しい書体デザインの制作が活発に行われてきた。その中には過去の活字や写真植字の時代に作られたデザインを再解釈して現代のフォントとして再生したものもあれば、まったく新しいコンセプトでデザインされたものもある。経験と歴史的成果を基礎にしつつ、新しい技術を積極的に導入しながら、現代の書体デザインが生み出されている。そのことは、森澤・石井が実用化した手動写植機が広く利用されていた時代と変わりはない。

[注意:上に述べた感想及び意見はすべて山本太郎個人の感想及び意見であって、他のいかなる個人および法人および団体の感想でも意見でもない。]