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流れをよむ
Earth's Co-Evolutinary Ladder: 環境と生命は、地球の誕生から、絶え間なく互いに影響し、地球上の生命の進化に関わりあってきたことを表現した言葉です。
FoMでは、今まで海の生物を紹介することに重きをおいていましたが、今回、それらが暮らす海そのものにも焦点を当てます。海は、生命の誕生の場としても、認識されていることから、海の物理学的な特徴や化学的な特徴を詳しく調べることは、海の生物の特徴を知るための様々なヒントも与えます。
海洋物理学の専門家である北海道大学大学院水産科学研究院の磯田豊准教授に、日本海の海流について、海流をよむために必要な基礎と先進的な研究成果を分かりやすく紹介してもらいます。数学や物理学の研鑽を積むことで、広大な海の流れをよむ力を身に着けられることがお分かりになると思います。今後、日本海以外の日本列島の周辺の海流についても、説明を加えていただく予定です。
磯田准教授は、いつも論理的に海の物理現象を説明なさることから、セミナーや講義などでお話を伺うと妙に納得してしまいます。磯田准教授のラボからは、その影響を受けた、多くの人材が輩出されています。実は、それらの方たちの雄姿は、意外なほど身近なメディアで、頻繁に見かけられます。皆さん、それぞれの専門で、流れをよみつつ、活躍なさっています。
FoM Editorial
29 Jul 2023 posted
Photo by Dr. ONISHI Hiroji, Hokkaido Univ.
日本列島周辺の海の季節変化
今回は、これまでのFoMで紹介されてきたような「美しく魅力的な生物」の写真(話)ではなく、生き物のように脈動する「日本列島周辺の海流」の姿を紹介したいと思います。
皆さんがもっている海流のイメージは、高校の地理?の教科書に載っていた黒潮と親潮(太平洋側)や対馬暖流(日本海側)の流れ方向を模した矢印ではないでしょうか。すなわち、矢印の方向に、海水・栄養塩・魚・最近では海ゴミを運ぶ、名前付きのベルトコンベヤーだ、というイメージです。社会分野ではそれで十分でも、「なぜ、どうして」を追求する自然科学分野では受け入れ難く、不満足な矢印なのです。陸上の河川水は土や岩の壁で囲まれ、重力に従って、高い山から海へ流れ下っています。ところが、海水にはそのような壁がないにもかかわらず、数10 kmの幅をもった海流が水平方向に循環でき、さらに、生き物の呼吸に似て、必ず脈動(季節変化を含む)するのです。不思議に思われませんか?その不思議さ(物の理:もののことわり)を理解する試みが、我々の専門分野である地球流体力学(または地球物理学)なのです。日本列島は日本海・太平洋・東中国海・オホーツク海の四つの海で囲まれていますが、まずは日本海から見てみましょう。
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
29 July 2023 posted
Photo by Dr. ONISHI Hiroji, Hokkaido Univ.
日本海の海流-1
図1-1はその脈動する日本海表層流を、色付きの流れベクトルの空間分布として表現したものです(朝日ら(2016)のFig. 6bを改変)。この図の作成方法は省略しますが、元データは地球を周回する人工衛星が測定した海面の凸凹(海面高度偏差)の時空間データです。図の見方は7〜12月の半年間において、偏差流速値が極大となる方向と大きさ(厳密には、一年周期の流速楕円に二つある長軸方向の一方側)を矢印ベクトルで表示し、その極大月を色分けしたものです。すなわち、流れ強化(または弱化)の時期が場所によって異なる様子を一枚の流れパターンの絵(注意:これは模式図ではなく、現実データをもとにした図です)としてまとめたものです。なお、海流が途中で途切れてみえるのは、その途切れ海域には二つの海流が季節を変えて存在しており、それを一枚の絵で表現すると、二つのうちで流速の大きな方の海流が強調されるためです。この絵から脈動する流れを想像できますでしょうか。我々には三つの海流が重なっているようにみえました。
一つ目は対馬海峡の南部から日本列島に沿った北東向きの赤色矢印ベクトル(7〜8月の夏季に強化)であり、対馬暖流の「沿岸分枝流」と呼ばれています。二つ目は対馬海峡の北部から韓国沖を北上、その後、南北に2〜3回程度大きく蛇行しながら東流する黄緑→水色→濃青色の矢印ベクトル(9〜12月の秋〜冬季にかけて強化)です。この海流は対馬暖流の「沖合分枝流」と呼ぶ研究者が多いのですが、我々は特徴的な流れパターンから「沖合蛇行流」と呼んでいます。三つ目は北朝鮮沖にある閉じた2個の渦流、E1とE2の赤矢印ベクトルであり、その存在はこれまで指摘されたことがありませんでした。そのため、北朝鮮沖の流動場を支配する重要な渦流なのですが、海流名はまだ付いていません。なお、E1とE2の渦流の強化は夏季(赤矢印の7〜8月)ではなく、後述するように、逆回転の渦流偏差となる冬季(1〜2月)にあります。
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
参考文献
朝日啓二郎・磯田 豊・方 曉蓉(2016)日本海における海面高度偏差と海面地衡流偏差の季節変化.海の研究. 25(3): 43-61.
29 July 2023 posted
日本海の海流-2
さて、ここからが我々本来の仕事「地球流体力学」の出番です。流体研究の分野では、風波・津波・潮汐波のように重力を復元力とした波を「重力モードの波」、海洋の暖冷水渦や大洋に拡がった水平循環流、気象の高低気圧や地球を巡る偏西風のように、時空間スケールの大きな渦流的な波のことを「渦モードの波」と呼んで区別しています。実は、図1-1に示された季節変化する海流は、後者(渦モード)の波に属します。しかし、この波の挙動は非常に特殊であるため(我々が日常観察できる流体現象で例えることが難しいため)、その物理的な解釈には数学の抽象的な考え方が必要となります。
興味のない方は、下記の※印の文節を読み飛ばしても構いません。不十分で不満足な記述に留まりますが、雰囲気を感じて頂くために、その数学的なところ(図1-2の右側灰色部分)を説明しています。なお、言い換えている[ ]内は、専門的な記述や用語です。なお、より詳しく勉強したい方は、Gill (1982)を参考にしてください。
※ 回転する地球にへばりついて東西方向に並んだ渦流の挙動を調べるとき、その渦流の強さや回転の向きは「渦度:ζ (ゼータ)」という物理量で表現されます(図1-2a)。導出は省略しますが、地球回転系の渦流を支配する式が(1)式 [非発散ロスビー波の渦度方程式] です。この式は数学的には移流方程式に類似した形をしており、よって、移流の大きさはβの値に依存します。βの物理的解釈には(2)式の2種類あり、地球の曲率を感じた渦流は西向きに移動 [惑星β効果による「惑星ロスビー波」]、陸棚の海底地形変化を感じた渦流は(北半球では)浅瀬を右手にみて移動 [地形性β効果による「地形性ロスビー波」] することになります。次に、(3)式の波動解を(1)式に代入して整理すると(4)式が得られます。波動解では任意の波長(逆数が波数k)と周期(逆数が周波数σ)を仮定するので、(4)式はσ(k)とkの関係式 [分散関係式] になります。この(4)式を用いれば(数学的表記とそれの物理的解釈は省略しますが)、渦流の凹凸形状の移動速度 [位相速度:C =σ/k ](5)式と渦流のエネルギーの移動速度 [群速度:Cg = ∂σ/∂k ](6)式を解析的に求めることができます。縦軸を周波数σ(k)、横軸を波数kとしたとき、図1-2bの青太線は(4)式を曲線で表現したもの [分散曲線図] です。曲線は「へ」の字型になり、「へ」の字の山より左側の低波数の渦流 [長波ロスビー] は横長渦の形状でCとCgが同符号、山より右側の高波数の渦流 [短波ロスビー] は縦長渦の形状でCとCgが異符号になります。両渦流とも時間の経過とともに、初期設定した形状を保つことができなくなり、(4)式は渦流のバラケ具合 [分散性] を表す式だ、とも言えます。
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
参考文献
Gill A.E. (1982) Atmosphere-Ocean Dynamics, Academic press.INC. (London).
29 July 2023 posted
日本海の海流-3
ここでは数値モデル実験(コンピュータのプログラミングによって(1)式を数値的に解くこと)を用いて、初期値として設定した渦流(局在化した渦度ζ)がどのようなバラケ具合 [分散性] を示すのかを(a)横長渦 [長波ロスビー] と(b)縦長渦 [短波ロスビー] を比較しながら図1-3に示しました(磯田(1997)のFig. 1を改変)。図の横軸は初期渦の縦幅で割った無次元の水平距離(空間)であり、(a)は1万倍のオーダ(極端に横長な渦が表現)、(b)は同じオーダ(縦横スケールが同程度の縦長渦が表現)で表示しています。
CとCgが同符号の横長渦 [長波ロスビー] は、図の左方向へ渦流の形状をほぼ保ちながら移動している(図1-3a)。図1-1でみた「沿岸分枝流」は、この横長渦 [長波ロスビー] が示す移動方向と速い移動速度(7〜8月)で説明され、浅瀬側の日本列島を右手にみた「地形性β効果」による海流として解釈されます。
CとCgが異符号となる縦長渦 [短波ロスビー] は、凹凸の形状(位相)は図の左方向へ移動(C < 0)する一方、エネルギーの大きな部分(バタバタする凹凸の振幅)は全く逆の右方向へ移動(Cg > 0)し、その右方向では新たな凹凸(渦流)が発生しています(図1-3b)。この不思議な時間変化は、日常目にする波では例えることができず、これが特殊な挙動と呼んだ所以です。あえて、波以外で例えるのなら、米国の歌手(ダンサー)のマイケルジャクソン(故人)のムーンウオーク(左方向へ歩いているようにみえるのに、実体である体は逆の右方向へ移動)に近いかも??です。図1-1でみた「沖合蛇行流」は3つの縦長渦が東西方向に連なった形状とみることができます。これを「惑星β効果」による海流と考えれば、9〜12月の4カ月もかけて、ゆっくりと東向きに強化される様子は、縦長渦 [短波ロスビー] の群速度で説明されます。(厳密には、東向きの移流と西向きの位相速度がバランスした「定在ロスビー波」の議論をしなければなりません(森江ら2015))
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
参考文献
磯田 豊(1997)ロスビー波の分散性.沿岸海洋研究. 34: 173-181.
森江亮介・磯田 豊・藤原将平・方 曉蓉(2015)対馬暖流の蛇行発達に対する定在ロスビー波の寄与.海の研究. 24(1): 29-47.
29 July 2023 posted
日本海の海流-4
本章の最後は、海流名がまだなく、北朝鮮沖にある三つ目の海流(または渦流)について、です。図1-4の(a)は冬季2月の日本海海上で卓越する季節風ベクトル、(b)はその風応力により駆動される流動場の数値モデル実験の結果です(朝日・磯田 (2016)のFig. 10a,bを改変)。アジア大陸から日本海へ噴き出す冬季季節風の水平シアー(大気から海への渦度供給)は、北朝鮮沖が日本海の中で最も強いことがわかります(図1-4a)。数値実験では、その供給された渦度によって、北朝鮮沖の局所的な二か所(E1とE2)に時計回りの渦流の発生を予測しました(図1-4b)。両渦流の場所と形状は、(季節表記が異なるために)回転方向が全く逆(反時計回りの渦流偏差)ですが、図1-1のE1とE2に非常によく似ています。この実験結果をもとにすれば、E1とE2の渦流形状をもつ海流は、季節風が連吹する冬季にのみ卓越すること、沖合蛇行流の一部(E3付近)に影響を与えることが示唆されました。我々は両渦流の存在を信じていますが、将来、関係各国の海洋研究者と共に海洋観測を行い、その存在を証明できる日を夢見ています(最近では、この渦流が日本海の深層流を駆動している可能性も示唆されており、その意味でも非常に重要な現象と考えています)。
水産学において回遊魚の海洋環境を記述する際は勿論のこと、社会地理学で環境及び国際問題(日本海を取り巻くロシア・中国・北朝鮮・韓国・日本の関係)を議論する際にも、図1-1が示す(「新しい」ではなく)正しい海流の姿が、新たな視点を提示してくれることを願っています。次回以降は「太平洋の海流」および「北海道周辺の海流」と題して、今回と同様な現場資料のデータ解析をもとに、それぞれの季節変化を紹介していきたいと考えています。
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
参考文献
朝日啓二郎・磯田 豊・方 曉蓉(2016)日本海における海面高度偏差と海面地衡流偏差の季節変化.海の研究. 25(3): 43-61.
29 July 2023 posted
太平洋の海流-1
はじめに、日本列島の東方に拡がる(北)太平洋(North Pacific)の海底地形をみて下さい(図2-1a)。太平洋の大きさを日本海(Japan Sea)と比べると、その東西幅は約10倍、水深は2倍以上もあります。そのため、太平洋の大規模な水平循環流は地球の曲率(惑星β効果)を感じ、「惑星ロスビー波」の性質をもつことになります(図1-2の(2)式βp = df/dyの方)。太平洋には、ほぼ南北方向に走る2本の特徴的な浅瀬地形があります。一つは日本列島南方の伊豆小笠原海嶺(IORと略す)、もう一つは中央で「く」の字に曲がった天皇海山列(ESsと略す)です。これらの浅瀬地形は、太平洋の海流、その季節変動に大きな影響を与えています。
太平洋の海流として有名な黒潮と親潮は、海洋物理学の分野では「風成循環流(海面を吹く継続的な風応力で駆動される水平循環流)」の「西岸強化流」として理解されます。風成循環流の定常場に限り、その力学的解釈は広く認知され、専門の教科書でも必ず説明されます。一方、このFoMで紹介する季節的な応答(1年周期の脈動)の実態(観測資料をもとに描いた時空間変化)は、教科書にはまだ掲載されていません。風成循環流に関する研究の難しさ(面白さ)は、惑星ロスビー波を「順圧及び傾圧(意味は後述)」応答する2つの波に区別しなければならない点にあります。藤原ほか(2014)では、いくつかの観測資料を組み合わせて、この2つの応答の区別を試み、その結果、季節変動の実態がおぼろげながらみえてきました。それを紹介するのが目的ですが、応答が正しく区別されたのかを確認する必要があります。館野ほか(2016)はIORとESsの浅瀬地形を考慮し、鉛直密度場を2層(上層が軽い、下層が重い海水)で近似した数値モデルを、季節変化する帯状東西風で強制した数値実験を行いました(図2-1b:風成循環モデル)。ここでは、その実験結果を利用して、力学応答を定常場(長期平均場)と季節変動場に分け、さらに変動場を順圧と傾圧の2つの応答に区別して、藤原ほか(2014)の両応答と比較しました。
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
参考文献
藤原将平・磯田豊・舘野愛実(2014)西部北太平洋における海面高度偏差の季節変化. 海の研究, 23(6), 197-216.
舘野愛実・藤原将平・磯田豊・朝日啓二郎(2016):北太平洋風成循環流の季節変化に関する数値モデル実験.北大水産彙報, 66(3),87-97.
1 September 2023 posted
太平洋の海流-2
地球回転系の2層流体の場合、順圧波と傾圧波の2つの惑星ロスビー波が同時に存在できます。「日本海の海流」では説明を省きましたが、日本海の沖合蛇行流は下層を無限大と仮定した傾圧波と東向き表層流との重ね合わせ、沿岸分枝流は陸棚捕捉(地形性β)の順圧波として理解されます。一般に、順圧波は海面変位の圧力変化を伴い、上下層の流れは同振幅、同位相で周期変動します(図2-2b)。傾圧波は内部境界面変位の圧力変化を伴い、上下層の流れは逆位相で周期変動します(図2-2c)。どちらの波の分散曲線(バラケ具合)も定性的には同じ「へ」の字型を示し、1年周期の変動は「へ」の字の山よりも低波数側(よって、横長渦)にあるため、位相速度Cは(群速度Cgも)いずれも負(西方伝播;C < 0)になります(図2-2a)。ただし、その位相速度Cの大きさは両者で異なり、アメリカ側から日本側への伝播時間(応答時間)で表現すると、順圧波は数週間、傾圧波は非常に遅くて約10年にもなります。
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
1 September 2023 posted
太平洋の海流-3
太平洋の風成循環流を駆動する帯状東西風(風応力τ)は、中緯度の東向き偏西風と低緯度の西向き貿易風で代表され、それらはアリューシャン低気圧が発達する冬季(2月頃のτmax)に強化されます(図2-3a:館野ほか,2016のFig.3bを改変)。なお、日本海も偏西風の緯度帯にありますが、冬季の日本海はアリューシャン低気圧(太平洋側)とシベリア高気圧(大陸側)との境界に位置するため、偏西風よりも北西季節風(モンスーン)の影響を大きく受けます(図1-4aを参照)。よって、日本海の海流は風成循環流だけでは説明できず、海峡を通した流入流出強制と個人的には「海面冷却駆動流(説明は省略)」という一種の熱塩循環流の解釈を行っています(Isoda, 1999;Fang and Isoda, 2020)。
まずは、太平洋の風成循環モデルの定常場(長期平均場の流量流線関数と内部境界面変位)をみながら、教科書的な説明をしてみましょう(図2-3b:館野ほか,2016のFig.6を改変)。偏西風の極大緯度より南側で、貿易風を含む中緯度以南において、風応力は時計回りの回転成分(負の渦度供給とも言います)をもち、これが黒潮を伴う時計回りの亜熱帯循環流を駆動します。偏西風の極大緯度よりも北側の風応力は、反時計回りの回転成分(正の渦度供給)をもち、これが親潮を伴う反時計回りの亜寒帯循環流を駆動します。両循環流はともに惑星ロスビー波の性質をもつので西方伝播し、循環の中心は西岸境界(日本列島)へ押し付けられます。そのため、閉じた水平循環流(流量保存)を考えると、西岸境界近傍の流れは必ず強くなります。これが黒潮や親潮が西岸強化流と呼ばれる所以です。
結果として、東向き偏西風に対応するように東向き海流が、西向き貿易風に対応するように西向き海流が駆動されているようにみえます。そうみえるので、「風成循環流とは風下方向に海水が引きずられた流れだ」と理解するのは間違いです。両循環流の総流量はともに30 Sv以上(Svはスベルドラップと読み、1 Svは以下で示した流量の単位)もあるのに対し、風が引きずることができる海水(エクマン吹送流)は、海面下のせいぜい数10 m(エクマン境界層)まで、総流量も数Sv(エクマン輸送量)にしかすぎません。ここでは「エクマン」と名の付く力学過程の詳細は省略しますが、上述した「風応力の回転成分」は、表層水の収束発散(エクマンパンピング)を促すだけなのです。
亜熱帯循環域を例に説明しますと、風応力の時計回り成分は表層水の収束、すなわち、周りにある軽い表層水を中央付近にどんどん集め続けるので、海面は上昇(上凸)、内部境界面は下降(下凸)します。海面の上凸部分は高圧、内部境界面(上層厚)の下凸部分は(周りよりも軽い海水が集まるので)低圧となるので、それらの下層では両圧力が逆センスに働き、水平方向の圧力差(水平圧力勾配)が小さくなります。亜寒帯循環域は発散場であるため、全く逆の凹凸関係になりますが、下層の水平圧力勾配が小さくなることは同じです。下層の水平圧力勾配がちょうど零になると下層流は消え、この状態を「アイソスタシー」と呼びます。図2-3bの長期平均場をみると、不思議なことに、下層に存在するはずのIORやESsの影響が全くみられません。実は、長期平均場は下層流が完全に零となったアイソスタシーの状態にあるのです。
アイソスタシーの成立過程については、Isobe and Imawaki(2002)で詳しく議論されました。風強制の初期(数週間程度)では、上凸の海面変位を伴い西方伝播する順圧波が励起され、上下層流はともに存在します(図2-2bの状態)。風強制が傾圧波の応答時間の10年に近づくと、下凸の内部境界面変位を伴い西方伝播する傾圧波(図2-2cの状態)が、先に励起された順圧波にゆっくりと重なり始めます。このとき、傾圧波の下層流の流向は、順圧流の下層流とは逆なので、両波の重ね合わせによって、下層流は東方から西方へ次第に消滅していきます(図2-2の(b)と(c)の重ね合わせをイメージして下さい)。アイソスタシーの状態にある長期平均場は、このような解釈でよいのですが、季節変動場の1年周期は順圧応答の数週間より長く、傾圧応答の10年より短いため、アイソスタシーは成立しないのです。
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
参考文献
Isoda, Y.(1999)Cooling-induced current in the upper ocean of the Japan Sea. J.Oceanogr., 55, 585-596.
Fang, X. and Isoda, Y.(2020)Dynamic equilibrium state of a Cooling Induced Current in the Japan Sea. 北大水産彙報, 70(1), 25-40.
舘野愛実・藤原将平・磯田豊・朝日啓二郎 (2016) 北太平洋風成循環流の季節変化に関する数値モデル実験.北大水産彙報, 66(3), 87-97.
Isobe, A., and S. Imawaki(2002): Annual variation of the Kuroshio transport in a two-layer numerical model with a ridge, J. Phys. Oceanogr., 32, 994-1009.
1 September 2023 posted
太平洋の海流-4
前置きが長くなりましたが、いよいよ太平洋の海流の季節変動場をみてみましょう。藤原ほか(2014)は西部北太平洋(解析範囲は図2-1bの赤枠線内)の衛星海面高度偏差(Sea Surface Height Anomaly:SSHAと略す)とアルゴフロートブイ観測による力学海面高度偏差を組み合わせ、順圧応答成分をΔDBT=SSHA-ΔD2000(ΔD2000は水深2000dbを基準とした海面のダイナミックデプス・アノマリー)として、傾圧応答成分をΔDBC=ΔD2000-ΔDML(ΔDMLは表層混合層深度を基準とした海面のダイナミックデプス・アノマリー)として両者の分離を試みました。順圧応答(ΔDBT)と傾圧応答(ΔDBC)の季節変動場は、12年間分のデータを用いた1年周期の調和解析結果で表現し、それぞれの応答は位相θ(上段)と振幅Amp(下段)の空間分布として、図2-4と図2-5の左側(a)に示しました(藤原ほか、2014のFig.4aとFig.8を改変)。少しわかり難いのですが、位相θは水位偏差が上凸極大となる月表示としているため、順圧応答は時計回り循環流が極大となる月、傾圧応答は鉛直積分した等密度面が下凸極大になる月として解釈されます。これらの理解を助けるために、館野ほか(2016)の風成循環モデル結果も同様な1年周期の位相θと振幅Ampの空間分布(順圧応答は流量流線関数、傾圧応答は内部境界面変位)として、両図の右側(b)に表示しました(館野ほか、2016のFig.7aを改変)。
季節変動ではアイソスタシーが成立しないので、1年周期の風強制で励起された順圧波は浅瀬地形を感じるはず、と予想されます。そこで、図2-4の順圧応答をみて下さい。左側(a)の資料解析結果からみると、大雑把には、亜寒帯循環域(北側半分)の位相θは8〜9月(赤色系)、亜熱帯循環域(南側半分)の位相θは1〜3月(青色系)にあり、これらは風強制の位相(省略)とほぼ同じです。季節変化の振幅Ampは、亜熱帯循環域よりも亜寒帯循環域の方が大きい傾向にあります。そして予想通り、亜寒帯循環域の8~9月の位相θ(赤色系)は、亜熱帯循環域のIORやESsに沿って南方へ張り出しているようにみえます。右側(b)の風成循環モデルでは順圧応答が陽に表現されるので、IORとESsに沿って南下する順圧波①と②(上段)、その浅瀬上の流量流線関数が大きく歪んでいる様子(下段)も再現されています。特に、黒潮が存在するIOR西方の振幅Amp値が極端に小さくなっている結果は重要です。順圧応答の季節変動をまとめると、冬季に強化される反時計回りの亜寒帯循環流の一部が浅瀬地形に沿って南下し、黒潮の季節変化を弱める等、亜熱帯循環流に影響を与えているとなります。
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
参考文献
藤原将平・磯田豊・舘野愛実(2014)西部北太平洋における海面高度偏差の季節変化. 海の研究, 23(6), 197-216.
舘野愛実・藤原将平・磯田豊・朝日啓二郎 (2016) 太平洋風成循環流の季節変化に関する数値モデル実験.北大水産彙報, 66(3), 87-97.
1 September 2023 posted
太平洋の海流-5
順圧波は1年周期の風強制にすぐに応答できるものの、アイソスタシーが成立しないので、1年周期の下層流は零になりません。そのため、順圧波の下層流がIORやESsの浅瀬地形上を横切るとき、そこでは内部境界面を上下に変化させるImpinging(鉛直流)が生じます(図2-2bの海底斜面付近の模式図を参照)。海底地形を介して、順圧波が傾圧波を励起するのです。IORを考慮したIsobe and Imawaki(2002)やESsを考慮したWagawa et al.(2010)の数値実験では、このImpinging過程によって1年周期の傾圧波がそれぞれの浅瀬地形上で励起されることを示しました。館野ほか(2016)の数値実験では、それらよりも現実的に、亜熱帯と亜寒帯の両循環流、そしてIORとESsの両浅瀬地形を同時に考慮しています。
図2-5の傾圧応答では、上述したImpinging過程による傾圧波が再現される右側(b)のモデル結果の方を先にみてみましょう。ESs以西の振幅AmpにはA1〜A3のきれいな縞状構造がみられ、位相θの変化からA1は3年前、A2は2年前、A3は1年前にESs上で励起され、ゆっくりと西方伝播した傾圧波であることがわかります。IOR以西の振幅AmpにはBの高振幅領域があり、こちらはIOR上で励起された傾圧波が半年程度で西岸境界(日本列島)に達しています。なお、亜寒帯循環域(北側半分)の位相θは11月頃(紫色)、亜熱帯循環域(南側半分)の位相θは4〜5月(黄緑色)が支配的です。この位相分布(両循環域の相違)は1年周期のエクマンパンピング(風強制による表層水の収束発散)による内部境界面変位(両循環域では逆位相)が原因であり、実は、それが傾圧波の伝播に重なって空間的な振幅の強弱(縞状構造)を作っています(館野ほか、2016)。
このモデル結果を知った上で、左側(a)の資料解析結果を眺めると、部分的には風成循環流の季節変動で説明できそうに思われます。まず、位相θの空間分布を大雑把に眺めると、北側に紫色の11月がいくつか点在し、南側は水色から黄緑色の2〜5月が広範囲に拡がり、これらはエクマンパンピングの特徴です。解析資料の低い空間分解能のため、1年周期の位相θ変化は不明瞭ですが、ESs以西の振幅Ampには点在するノイズの中に、ほぼ同位相θ(2〜3月の黄緑色)のA1〜A3の縞状構造をみつけることができます。
しかし、太平洋の傾圧応答の理解には風成循環流の他に、季節的な海面加熱・冷却を原因とした熱塩循環流や冬季形成されるモード水(均一な混合水)の移流等も考慮しなければなりません。太平洋の海流、その季節的な力学応答の解釈は、まだ始まったばかりです。このような研究レベルですが、地理の教科書にある静止した矢印海流とは異なり、脈動する黒潮や親潮のイメージが少しでも伝えられたら、嬉しいです。
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
参考文献
舘野愛実・藤原将平・磯田豊・朝日啓二郎 (2016) 北太平洋風成循環流の季節変化に関する数値モデル実験.北大水産彙報, 66(3), 87-97.
Isobe, A., and S. Imawaki(2002) Annual variation of the Kuroshio transport in a two-layer numerical model with a ridge, J. Phys. Oceanogr., 32, 994-1009.
Wagawa, T., Y. Yoshikawa, and A. Masuda(2010)Bathymetric influences of the Emperor Seamounts upon the subarctic gyre of the North Pacific: Examining Boundary Current Dynamics along the Eastern Side of the Mountain Ridge with an Idealized Numerical Model, J. Oceanogr., 66(2), 259–271.
1 September 2023 posted
この写真は、風がほとんど吹いていない海象条件にもかかわらず、津軽海峡の中央で縞状に連なる波群を撮影したものです。実は、それらの海面下には大振幅の内部波が存在しており、内部波の収束域の海面が激しく波立っているのです。
北海道周辺の海流
最後は「北海道周辺の海流」、その季節変化の紹介です。これまでは、日本海と太平洋の海流(対馬暖流と黒潮・親潮)の季節変化を「脈動」と表現してきました。これは季節的な擾乱(主に、ロスビー波)の伝播が海流の強さを局所的に変えるものの、各海流の存在場所や流れの向きまでは大きく変えないため、「脈動」が適切な表現だったのです。ところが、北海道周辺の海流を調べてみますと、ある海域では、季節毎に亜熱帯水(高温高塩水)と亜寒帯水(低温低塩水)が入れ替わり、流向が反転し、海流の消滅も観察されました。これらは「脈動」という穏やかな変化ではなく、劇的な季節変化と言えるでしょう。劇的となる理由には、次の二つが考えられます。
「太平洋の海流」で紹介しましたように、亜寒帯循環(南下する親潮を含む)と亜熱帯循環(北上する黒潮を含む)の境界は、関東の東方(房総沖)付近にあります。それより数百kmも北側にある北海道東方沖は、冷たい亜寒帯水域(後述するポンチ絵に描いた親潮の南下流域)に位置しています。一つ目の理由は、日本海を使って北海道まで北上した暖かい亜熱帯水(対馬暖流水)が津軽・宗谷海峡を通過して、真横からその亜寒帯水域内へ流出していること。すなわち、亜熱帯水は日本海という迂回ルートで、亜寒帯領域の中心付近へ輸送されているのです。二つ目の理由は、冬季の冷たく乾燥した北西季節風が海水を冷却するとき、亜熱帯水を伴う暖流の方が亜寒帯水を伴う寒流よりも弱化され易いこと。これは、もともと冷たい亜寒帯水が多少低温化しても軽い低塩水のままなのに対し、亜熱帯水が低温化すると高塩なので重い水(低温高塩水)になり易いことが原因です。
これらの理由を知った上で、図3-1のポンチ絵に描いた海流の季節変化を説明してみましょう。図中の実線矢印は夏季を想定した表層付近の海流であり、黒色が暖流(高塩の亜熱帯水を伴う流れ)、灰色が寒流(低塩の亜寒帯水を伴う流れ)を模式的に描いています。この状態から、冬季の北西季節風(左上に描いた模式的な紫矢印)の影響を受けた「海流の変化」が破線の矢印や楕円です。
まずは、冬季の季節風が吹く前、夏季の海流からみてみましょう(以下、箇条書き)。日本海を北上してきた対馬暖流の大部分は津軽海峡へ流入、残りは北海道西岸沖を北上。津軽海峡から北太平洋へ流出した暖水は「津軽暖流」に名前を変え、沖合へ張り出し、日高湾内に大きな時計回り渦流(Gyreモード)を形成。日高沖の陸棚斜面に接した渦流の一部から小さな暖水塊が分岐し、それが斜面に沿って岸側を右手にみながら、噴火湾の湾口付近まで移動(地形性ロスビー波の性質)。この暖水塊は湾口底層から噴火湾内へ流入、逆に、表層の低塩水(主に河川水)が湾外へ流出、このとき湾全域に拡がった時計回りの表層渦流を形成。一方で、北海道西岸沖を北上した対馬暖流は、積丹半島沖の渦流発生とその西方移動(惑星ロスビー波の性質)によって蛇行。その北側では、武蔵堆という浅瀬地形によって沖合流と沿岸流に二分岐し北上。宗谷海峡からオホーツク海へ流出した暖水は「宗谷暖流」に名前を変え、陸棚斜面または沿岸の捕捉流(地形性ロスビー波の性質)として知床半島まで到達。ロシア海域は海洋データが手に入らないため、知床以北の暖水挙動は不明。ただし、暖水の一部が国後島側から根室海峡へ侵入(推測)。また、オホーツク海に入った宗谷暖流水は、千島列島のどこかで北太平洋側へ流出、その後、西向きの陸棚捕捉流(地形性ロスビー波の性質)によって道東沖に出現。
このように、夏季の北海道周辺の沿岸域は、概ね、亜熱帯水を伴う暖流に取り囲まれた状態になります。さて、冬季の季節風が吹くと、この夏季の海流はどのように変化するのでしょうか(以下も、箇条書き)。冬季の季節風による強い海面冷却は、渦流を構成する高温高塩水(周辺よりも軽い水)を低温高塩の重い水(周辺と同程度の重さの水)へと変化。これにより、日高湾内と積丹半島沖の渦流は弱化、または消滅。その結果、日高湾内の津軽暖流は渦流(Gyreモード)から東北沿岸を南下する沿岸流(沿岸モード)へ変化し、空いた日高湾には親潮の一部が侵入を開始。北海道西岸沖では(積丹半島沖の)渦流の消滅と共に、北上する対馬暖流もほぼ消滅。そして海面冷却による深い鉛直混合は、この海域一帯に日本海中層水(の起源水)を形成。冬季のオホーツク海では、北西季節風が海盆スケールの風成循環流を駆動、その西岸境界流(または風強制沿岸捕捉流)が「東サハリン海流」という名前をもらって、網走沖の陸棚斜面域を南下(地形性ロスビー波の性質)。東サハリン海流はアムール川起源の低塩水で構成される軽い水のため、宗谷海峡を挟んで日本海側よりもオホーツク海側の水位が高くなり、これにより宗谷暖流が衰退、または消滅。その後、南下する東サハリン海流は北西風(の海面風応力)といっしょになって、大量の海氷(または流氷)を北海道沿岸まで輸送。海氷が融ける早春、その融氷水を起源とした密度流が発生し、千島列島のどこかで北太平洋側へ流出。このとき、低塩水を伴う密度流は「沿岸親潮」という名前が与えられ、道東沖では夏季の暖かい宗谷暖流水から冷たい沿岸親潮水(2℃以下)へと変化。この沿岸親潮は西向きの陸棚捕捉流(地形性ロスビー波の性質)として、沖合の親潮侵入と共に、道東沖から襟裳岬を経由し、噴火湾内へ到達。根室海峡の半分はロシア海域のため、不明な点が多いものの、根室半島先端の珸瑤瑁水道では次の季節変化が明瞭。夏季は北太平洋側から海峡内へ流入(宗谷暖流水の流入)、冬季は逆に、海峡から北太平洋側へ流出し、おそらく沿岸親潮に接続。
以上がポンチ絵に描いた海流の説明ですが、これらは図中に①〜⑧で表示した海域毎の研究成果をパズルにように組み合わせて得られた知見です。上述した海流変化は空間スケールが小さいため、人工衛星による空間解像度の粗い海面高度偏差データ(先の日本海や太平洋を対象とした研究では使用可能)では捉えることができず、過去に蓄積された断片的な海洋観測資料(流速や水温塩分など)の収集と、その季節別のデータ解析でしか知ることができません。そこで、ポンチ絵以上の詳しい海流情報や解析手法に興味のある方は(水産研究者や北海道の漁師さんを対象)、後述します①〜⑧の海域毎の解説と個々の引用文献を参考にして下さい。
磯田豊・北海道大学大学院水産科学研究院・准教授
6 October 2023 posted
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